こんにちは!私は7年看護師をやってきて2回転職を経験しました。そんな7年間を今回は綴ってみました。私がリデザインナースとしてブログを始めた理由、みたいなところにもなるので、よかったら最後まで読んでいただけると嬉しいです。
看護師1年目から3年目
私は高校から看護学校へ入学し、専攻科を経て20歳で看護師になりました。病院から奨学金を借りており、借りた病院へお礼棒鋼として3年間就職することで奨学金が返金できるというシステムでした。なので地元にある地域包括ケアがメインの外科病棟へ就職しました。
田舎の病院なものでもちろんお局の先輩方ばかりで、はじめからツンとした対応をされることが当たり前な中一年目をスタートしました。就職して1カ月過ぎたころ、趣味でやっていた社会人バスケのゲーム中になんと右膝の靭帯断裂、半月板損傷をしてしまいました。怪我も、仕事を休むのも初めてで、職場にどんな顔をしたらいいのかもわからないまま、入院生活の始まり。本当に人生で最悪の期間でした。退院した後、病院へお礼も含めてご挨拶へ向かったら師長さんより「連絡もないまま来るんじゃない、けが人はいても迷惑」といわれたことを今でも鮮明に覚えてます。社会人1年目ということもあり、何をしても裏目に出るばかりで、私への周りの先輩からの印象は最悪でした。復帰に半年ほどかかり仕事を再開しても他の同期とは差が出ている中でなにもできない私は仲間はずれのような対象になりました。先輩方に口を聞いてもらえなかったり、冷たい視線を送られたり、影で悪口を言われたりと、、、。本当に行くのが毎日辛くて、初めて休みたいと思ったこともありました。でも、元々負けず嫌いな性格だったのもあって、見返してやる、というその意気込みだけもって毎日出勤しました。少しずつですが、先輩方とのわだかまりも溶けていき、なんとか他の同期と同じような対応をしてもらえるようになりました。3年目には師長に逆に気に入られ、周りより良い対応をしてもらってたのは気づいてましたが、私は1年目のことが忘れられず、100%で心を許すことはできませんでした。
そんな嫌なことがたくさんあった3年間でしたが、病院としてはとてもいい経験をさせてもらいました。プライマリナーシングシステムの看護だったので、入院から退院、その後の生活にかけて患者さんと関わることができました。個人的には退院支援がとても好きで、いろんな業種の方々と患者さんについて計画を練っているときは生き生きしていたなと思います。私の看護観のベースを作ってくれたと今でも思います。嫌な先輩方でしたが、年を重ねてみると言われたことも納得いく部分もあったし、社会人としても成長をさせてくれた病院でした。職場環境が嫌だということだけではなく、急性期で働きたいという看護学生時代の夢や、もっと看護師として知識を広げたいと思い、3年でその病院を退職しました。
看護師3年目から6年目
次に選んだのが2次救急病院でした。そこはバリバリの急性期病院。3年の経験があっても心電図も読めない、病態の知識が全て浅い、というところがコンプレックスで、次の病院ではまた1から学びたいと思い新卒の方々と同時入職をしました。新人研修も受けたし、プリセプターの先輩もついてもらいました。設備から病床数まで全然違う病院で本当にびっくりの連発。最初は本当にやる気で満ち溢れてました(笑)
私が入職したのは心外・循環器病棟。希望病棟に候補をあげた理由は一番勉強ができそうというところです。心電図くらいは読めるようにならないと、という簡単な志望動機(笑) いざ、はじめてみると、カテや手術準備、カテ迎え、入院対応、もう覚えることが多すぎて、そんな中でも勉強はしないといけなくて、1年目はめまぐるしく過ぎていきました。2年目からリーダー業務も始まりました。リーダー業務は常にタスクの連続で頭がパンクしてました。ベッドサイドに行く余裕も全然なく一瞬で定時になり、そこから記録して帰るのが毎日のルーティンでした。でも仲間には本当に恵まれていて、みんなで終わっていないことを協力して終わらせたり、ごはんに行ったりと支えてもらいました。
リーダー業務をしていく中で、患者さんと関わることが減り、業務中心の仕事になっていくなかで、「なんで看護師になったんだろう」 「いつまでこの仕事を続けていくんだろう」という思いが大きくなってきました。最初の病院で得た私の看護観は私の中にまだあり、もっと患者さんの生活に寄り添った看護をしていきたいという思いから、私は急性期には向いていないのかも、と思うようになりました。
そんな想いを感じていたころ、将来について考える時間が増え、自分ともっと話したい、いろんな経験をしたい、という考えになり、‟海外”というワードが芽生えてきました。ちょうど好きだったアーティストが海外で旅をしている動画を見て、私もいつかここに行きたい、と思い、ワーホリというものに出会い、留学エージェントと連絡を取り合うようになりました。そこからは資金集めという目的もあり、病院を辞めて、都市圏で応援ナースをすることを決意しました。
看護師7年目 応援ナース
短期間で高所得できるのにもってこいなのが応援ナース。自分の周りには応援ナースをしている人はいませんでしたが、看護師の働き方を色々模索しているなかで出会いました。エージェントとカウンセリングを重ねて、東京で応援ナースをすることになりました。あまり都会は得意じゃなくてあまり住みたいとは思はなかったけど、稼げる!という思いで頑張って住みました。応援ナースの仕組みもよくわからないまま、仕事が始まり、2日目からは普通に受け持ちがつきます。その病院には多くの応援ナースの方がいたので情報もたくさんもらえたし、同じようにワーホリのためにやっている、という方もいらっしゃいました。仕事もほぼ定時で終わるし、委員会やリーダー業務もないので、家にストレスを持ち帰ることがないのがとてもよかったです。看護師にもこんな働き方があるんだな、という新しい考えも得ることができました。
終わりに
これまでの経験を見てみてわかると思いますがあまり、私は同じ病院で働き続けるのが苦手です。やっぱり同じところに居続けたほうが安定した職はあるし、退職金も多いだろうし、とは思います。しかし、私は変化がないと耐えられない性格で、看護師をいつまで続けるかわからない中で毎日同じ生活をすることが得意じゃないので、応援ナース等、いろんな形で働いて、自分の看護観にあった働き方をした方が、私自身の幸福度はあがるような気がします。これからも看護師として働くことはあると思うけど、働き方について考えてみたいな、と思いました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。看護師7年の経歴ですが1つの病院で働く7年と、3か所の病院で働くのとでは経験の差が多少なりあると思います。1つの病院でずっと働くことは悪いことじゃないし、むしろ私はそんな方々を心の底から尊敬しています。どんな状況でも耐えて働き続けることは誰にでもできることじゃないと思います。でも患者さんに個人差があるように、看護師にも個人差があって、看護師1人1人に合った働き方があると思うので、自分に合った働き方を見つける事に私の経験が何か参考になれば嬉しいです。
今後私のやりたいこととして、看護師の人生をリデザインすることです。私がいろんな経験をしてみて今後の働き方に出会ったように、あなたにもあなたなりの働き方があると信じています。それを導くお手伝いをしたいです。誰しも一度は自分の人生や働き方を考えたことがあると思います。そんな人へ届いたらいいな、と思ってます。



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